第1回 梶山季之 黒の試走車

 
 1957年、松本清張が『点と線』『眼の壁』を連載。単行本になると同時に未曾有の推理小説ブームが起こる。ごく一部の人の読み物であった「探偵小説」が、国民一般の間に広く読まれる「推理小説」に変わった瞬間である。名探偵、トリック、館や孤島など今までのキーワードが影を潜め、社会性、日常性、現実性といったキーワードが顔を出すようになった。
 この推理小説ブームから、「社会派」と呼ばれる作家が誕生する。有馬頼義、水上勉、黒岩重吾、邦光史郎たちがそうだ。彼らは後に推理小説から離れてゆくが、この推理小説ブームがなかったら、世に出てくるのはもっと違った形となったであろうし、もしかしたら世には出てこなかったかもしれない。
 同じく、推理小説ブームがなかったら、その後のハードボイルド、スパイ小説、新本格派などももっと別の形のデビューとなったであろう。

 梶山季之も、そんな「社会派」と呼ばれた一人である。その梶山季之のデビュー作であり、代表作とも言えるのが『黒の試走車』である。 

 二大自動車会社、「ナゴヤ」と「不二」を追い越す勢いの「タイガー自動車」が発売した新型優秀車「パイオニア・デラックス」。生産が追いつかないほど好評であったが、発表後わずか二十日目、ある運転手が特急との衝突事故を起こす。運転手は「車のエンジンが急に止まった」と証言し、業界紙は新車に欠陥があるのではないかと騒ぎ立てる。しかも、事故の調査中の企画一課長柴山は謎の交通事故死をとげる。新たに作られた企画PR課の課長に任命された朝比奈は友人であった柴山の死の謎を探るとともに、ナゴヤ、不二の新型車の機密を探ることになった。企画PR課とは名ばかりで、実体は産業スパイであった。

 この小説は、当時ではほとんどなかった産業スパイ小説である。もちろん、柴山の交通事故死の謎といった推理要素はあるものの、中心は自動車会社による産業スパイ合戦だ。この手の小説は、情報が古くなる、すなわちリアルタイムで読まないと面白くないものもあるが、名作とよばれる小説にそんなことはない。
 最後に勝つのはナゴヤか、不二か、それとも朝比奈のタイガー自動車か。誰が敵で誰が味方か。どの情報が真実でどの情報がフェイクか。小説中の登場人物だけでなく、我々読者も惑わされたまま、物語はクライマックスに突入する。既にその時点で読者は梶山季之の術中にはまっているわけだ。一度つかんだネタは放さないトップ屋であった彼は、一度つかんだ読者を逃さない売れっ子作家に駆け上ってゆく。

 梶山季之は1930年、京城(今のソウル)に生まれる。高等師範学校卒業後に上京し、第15次<新思潮>同人となる。1959年、大宅壮一主宰のノンフィクション・クラブに加入、週刊誌のトップ記事を受け持ち、スクープ記者として名を馳せる。
 1962年に『黒の試走車』をカッパ・ノベルス(光文社)に書き下ろし、一躍超流行作家になる。その後、社会派推理小説『夢の超特急』、異色戦後史『小説GHQ』、小豆相場を扱った『赤いダイヤ』など大量の作品を発表、中間雑誌の売れっ子となる。
 1975年、香港で急逝。原稿の書きすぎにより命を縮めたという話もあるが、権力者への抵抗精神が旺盛だったことから暗殺説も一時流れた。
 

 

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